続・私の定義

の続き。…?

TBされてたのに、はてなのシステムからメールが来なくて気付かなかったので今頃返答、というかそんな感じの蛇足記事。口調がきつめですが、大目に見て下さい<ぉ

自我という意味での「私」なら、物理現象によって生じる概念的な存在というのはなかなか的を射た言い方のように思うが、物理現象と概念的存在の境目というか、物理現象と自我との間でここからが自我という線引きをするのは難しい。だからといって自我が明確な線を持たないというのでは、その安定性やアルコールなどによる影響を説明できなくはないか。

概念的、というのは物理的には存在しない(人間が無理矢理解釈して意味を付与すると存在する)という意味で用いました。即ち境目はそもそも無いという立場に立つわけです。安定性というのは恐らく「意識が保てている」というレベルでの安定性だと思うのですが、その点は何故生命体が活動を続けているのか、その理由と同義だと思っているので、「私」の定義の話から逸れるので割愛します。アルコールによる影響は、「私」は不安定なんですから勿論あります。きっと脳という肉体に影響があるんでしょうから、そこから生起している「私」にも影響はあるでしょう。

そして自我が概念的存在だったとして、それは物理法則を超越しているのか。つまり全体として熱力学第二法則からは逃れられないものの、意識が肉体を通してある系に作用する場合、その現象の根源は物理法則にあるのか否か。

物理法則に従って生起してるんですから、物理法則は超越できません。勿論意識だけ飛んでいくとかいうのも無理です。可能性としては、肉体と同じレベルで「私」を生起できるようなプラットフォーム(電脳とか)が存在すれば、物理法則を超越しないまでも、従来的な制限に縛られることはなくなるのかもしれません*1

もし「私」が肉体から生起しているのであれば、「私」を生起している肉体は「私」の生産者であって、むしろそれ自体が「私」であるといっても良いのではないか、「肉体と精神」が「私」だというのと表現が違うだけで言ってることは同じじゃないか、という向きもあるかもしれませんが、その場合生命活動を停止した肉体(つまり死体)の取り扱いが微妙になるので、やはり肉体が「私」であるとは言い辛いなぁ、というのが俺の意見です。

余談ですが、俺の主張によると、現在の「私」は実際のところ実体は電気的信号であると極論できますが、何も電気的信号である必要はなく、もし完全な代替ネットワークを、より高速に提供できれば思考の高速化が可能かもしれない、また思考、感覚能力の拡張もできるかもしれないという可能性があります。


多分関係ないですが、以下にも一応答えておきます。

「他者」の意識は「私」には分からないから「他者」だ。「私」の意識もたぶん「他者」には分からないから「私」だ。だが「私」が「私」として認識している部分、たとえば「私」の肉体は「他者」によって認識されるから「他者」にとっての環境あるいは「他者」の意識の中に存在する何かということにはならないか。

自分の肉体が他者の意識の中に存在するということと、意識の中に存在することが自己同一性を担保する(私が観測したものは全て私だ)ということとは違う話です。何が言いたいのか判然としませんが、言葉遊びでしょうか。

*1:このへんで攻殻機動隊の影響が良くわかるかも。